勝手な未来予想とちょっとした世界観とDISNEY!!!!! 後半真面目に書いた

おひさです。誰に対しておひさと言っているかよくわかりませんが、ここ数日、いろいろありまして、ブログ更新できてませんでした。なので今日はとことん書いてやる!という、気持ちがあるかといったら、はっきり言ってないです。単純にめんどくさくなってきましたね〜あとは、全力で自分の考えを言いたい欲求もないし、最近は勝手ながらにやらせていただいているビラ作成と読書と車校でまあまあ忙しくて、ブログに書けるようなネタを考える暇もあんまりないかな〜

 

ここで、、、何か枯渇した感じがないと、ふつふつと湧いてくる感情を言葉で全力で表そうという気分にならないなあ といことに気づきましたンゴね。

 

なので今日は、一週間くらい前にスタバで、ただの口先の評論家に成り下がってメモ帳にメモった文章をコピペしてやりたいと思います。題して、「Abrahamの勝手な未来予想とちょっとした世界観」です。最近のいろんな本とかニュースとか動画を見たりして、その共通点を少しあぶり出して書いてみたのが前半の勝手な未来予想で、後半は、自分の価値観の10%〜90%くらいをチョロっと書いてみました。箇条書き感がめちゃんこありますが、ご容赦ください。

 

生産性があがり、いわゆる作業ゲーのようなことをする人は減り、より人間味を大事にするようなことを重要視する時代が来る。例えば、airbnbuber、アマゾンの自動配達などの効率化によって余暇が生まれると、そうやって人工知能や効率化を図るシステム開発をする仕事と人間を感動させたり、笑わせたりする仕事(遊び)が増える。これは、幸せなことだよね。となると、そのエンターテイメントには、ただ人を喜ばせるだけでなく、そこにより生を見出すようになれば、これまで以上にそれなりのビジョンのある哲学が必要だと思うんだす。だけど、今の周りに生きる人間を見ると、何かしらしっかりとしたビジョンを描けている人間というのはあまりにも少なすぎる、もちろん、自分も明確なビジョンを描けているわけではないが、描こうとする努力はしているつもりである。僕の場合、この世界全員の人間が幸福になればいいと思っているが、なんかその考え方はおこがましい感じがするので、この世界の人間の不幸がなくなればいいと思うことにしている。自分が生きているうちにこれが達成されるとはさらさら思っていないが、少なくとも、ビジョンとしてこれ以外に素晴らしい、価値があると思えるものはまだ思い浮かばない。ある意味、ディズニーのような理念が好きなのかもしれない。

 

というか、そもそもみんなは、そこまで、死んだ後の世界とか、この世がなんで存在するかとか、どうやってこの世ができたかとか、なぜ生きるのかとか、未来はこの先どんな風に進んで行くのか、とかに興味が全くないのか。あったとしても、どうせ答えは出ないので考えても無駄だと思うから考えないのか。あるいは、忙しくてそんなこと考える暇なんかねーよ、っていう人もいるかもしれない。純粋に不思議に思う感覚が薄くなっているのか。よく分からない。これを不思議に思うということに、分からないということに、僕は全人類の共通点を見出し、世界を平和にしていきたい、と思うことがある。これって、ある意味、神を崇拝するっていう感覚と同じなのかもしれない。分からないものを、すべて神に集約して、それを共通の崇める対象として、平和に導く的な。と考えると、宗教が発展した時代って、苦しみの多い時代だったから(世界史日本史をある程度知ってれば自明)、僕がさっきあげた疑問を持つためには、何か枯渇して苦しみを味わわないといけないのか。でも、別に自分がそんなめちゃくちゃヤバイ苦しみを味わったことってたぶんないしな。ないと思ってるだけで、実際味わったことがあるのかもしれんけど・・・

 

はい、完全に迷走しました。だんだん恥ずかしくなってきましたが、耐えます。

ここでふと思うのは、博愛主義的な理念て良いものだと思いますね。ちょっと、ディズニーテーマパークの理念のコピペしてみます。

 

世代を超え、国境を超え、あらゆる人々が共通の体験を通してともに笑い、驚き、発見し、そして楽しむことのできる世界。
 「私はディズニーランドが、幸福を感じてもらえる場所、大人も子供も、ともに生命の驚異や冒険を体験し、楽しい思い出を作ってもらえるような場所であってほしいと願っています。」というウォルト・ディズニーの言葉があります。
 あらゆる世代の人々が一緒になって楽しむことができる“ファミリー・エンターテイメント”を実現したいというウォルト・ディズニーの思いがディズニーランドを生み出し、この考えがディズニーテーマパークの基本コンセプトとなっています。

 

確かに、今の現実を見てると、そんな甘ったるいこと言ってられねーぞい! っていう意見もあるとは思いますが、そーゆーことじゃなくて、あくまで最終目標は”ファミリーエンターテイメント”で、それに向かって中期的な目標を立て、現実的なことをコツコツと積み重ねていけば良い、ということを言うてるんです。もちろん、そこには、競争だってあっていいと思います。競争は競争でも、良い競争です。ただ、誠に無責任ですが、良い競争の定義は知りまへん。だから、人類は良い競争とは何なのか、ということを共に考えていくべきだと思うし、一緒に考えていきたいっすね。 

あと、先ほど、ディズニーと宗教の話に関連したニュースを見たのでそのことに触れておきたいと思います。近日公開の、美女と野獣の映画についてのことなのですが、米ウォルト・ディズニーは、実写版映画「美女と野獣」から、同性愛のキャラクターが登場するシーンをカットするよりも、マレーシアの映画館での上映を無期限延期することを選んだそうです。マレーシアは、宗教的に同性愛に対して厳しく、法律で禁じられています。そのため、仮に映画に出てくるとしても、ゲイを蔑んだり見下すような描写でしか使ってはいけないそうです。この、しきたりに対して、ディズニーは理念的に対立し、上映を延期する措置を取ったのでしょう。ある意味、これは宗教と宗教の対立です。あなたが最高責任者なら、公開シーンをカットしてマレーシアで上映させていましたか?それとも、現ディズニーがした措置と同じことをしてましたか? もし、自分が同性愛シーンをカットして上映するなら、同性愛を禁止する宗教をまた、博愛主義的な、自由な幸せを尊重しようとする観点からその選択をするかもしれません。ですがやはり、上映します、ということはすなわち、同性愛禁止のシステムを地域によっては許容します、ということと同じことではないでしょうか。もし、ただ単にマレーシアはマレーシア、アメリカはアメリカ、というように世界を割り切って世の中を捉えていたら、ディズニーも簡単にシーンをカットして上映していたでしょう。上映すれば、お金だって入ってくるし、ディズニーの認知度は上がるし、いいことづくめといえばいいことづくめです。それを押し切って、シーンカットを拒否し上映延期という行動に移せたのは、世界を一体のものとして捉え、同性愛は必ずや許容されるべきものであるしそのような多様性を許容する社会が理想の社会である、という理念は人類が生きてく上で良い方向へ導いてゆくものの一つになるにちがいない、という確信があったからに他ならないと思います。このように、世界規模で人類の進むべき道を模索して行動にうつすディズニーという組織に、とても僕は魅力を感じます。こんな感じに全世界の人間が地球規模で物事を考えることができれば、人類は飛躍的にもっと良い方向へすすむ、と僕は思います。常に、世界を飛び回って生きろ、とか、全員外交関係に携わるべきだ、とかいうことではなく、世界の出来事を自分の環境に容易に落とし込んで解釈することができ、また自分の身の回りの出来事が世界にどんな影響を与えるかということを、常に考えることができることが大事なのではないだろうか、ということをいっているのです。ただ、そのためには、思想的なお話だけでなく、そうやって地球規模で考えられる余裕を持てるくらい、いろんな部分が豊かにならなければ、それは達成されないでしょう。ですが、今の日本の学生について考えてみてください。どう考えても裕福で余裕がある人間が山ほどいるのに、このような思考に至りません。これは、いささか問題だと思います。おそらくこれは、経済の問題というよりは、主に教育の問題なのだと思います。この問題は、教育が良くなれば一気に解決に向かうものです。教育といっても、いろんなやり方があると思いますから、初等教育、あるいは高等教育を変えるだけで解決に直結するとは思いません。なので、教育のどの領域を改善すると、最善で最大のインパクトを与えることができるのか、ということをこれから少しずつ暇があれば、模索していきます。いや、一緒にあなたも模索していきましょう。

 

はい、またイキった文章書きました。どの口がそんな戯言を吐くんじゃと思う気持ちはわかります。自分も、どの口が喋ってるのかわかりませんが、許してちょんまげ。

 

たぶん今までの記事の中で、最も文章力のないものでしたが、

 

 

頭ボーッとしてきたのでさよなら。